生きるということ

※これは私のブログ記事からの転載です

ヨーロッパに伝わるお話(だったと思う(^^;))

かなり前に聞いたので細かいところが違っているかもしれないけれど

大筋あっていると思います。


ある日、森で小鳥がみんなに問いかけました。

「ねえ、生きるってどういうこと?誰か教えて」

するとバラの花がひとひらひとひら花を咲かせながらこう答えました。

「生きるっていうのはね、他の何かになることよ。

こうして私が蕾から綺麗な花になるように」

それを聞いていたハチは言いました。

「生きるっていうのは花から花へと行きながら甘い蜜を吸うことさ」

今度は鷲が来て言いました。

「生きるというのは誰より高く飛ぶことさ。誰よりも上をね」

その時雨が降ってきました。

「生きると言うのはこんなふうにたくさんの涙を流すことです。

生きるというのは泣くことなんです」

そこへ酔った男が現れて

「なにを言っているんだ。生きるというのは希望を持っては絶望するの

繰り返し。生きるってことは絶望するということだ」

小鳥はだんだん淋しくなってしまいました。

やがて日は沈み、そして朝日が昇り始めました。

太陽は言いました。

「皆さんの話を聞いていました。生きるの解釈はいろいろですね。

でもね、生きるというのは永遠に始まる一日を過ごすということです。

どんな日も私が空に昇るように、どんな日もその時を大切にただ過ごすと

いうことなんです」

太陽の言葉にみんなは深くうなずきました


このお話を聞いた時、

私は(なるほど、人はすぐに自分とは違うものになろうとしたり

なんとか甘い汁を吸おうとか、あるいは人より上に立とうとか

そんなことばかり考えて結局はうまくいかずに泣いたり絶望したり・・・。

そういうことにとらわれるのではなくて毎日目の前にあることを

今出来る事を懸命にやればいいってことなんだ)と思いました。

このたびノーベル化学賞を受賞した北海道大学の鈴木名誉教授や米パディール大学の

根岸特別教授も「何かを目標にしてやるのではなく、興味のあることに

当たり前に取り組んでいたらたどりついた」

「自分の好きなことをやっているのに苦労や苦痛はない」と

言っています。

余計なことは気にせずに、ただ目の前のことに集中するってことですよね。

それがいい結果をもたらす。

ただ、最近思うのです。

自分の心さえままならないのが人間です。

頭でわかっていてもどうにもならない時があります。

こんなこと気にしない方がいい、考えても仕方がない、そう思っても

クヨクヨとくだらないことを気にして、

負の考えに頭を支配されてしまう時もあります。

ネガティブな人、ポジティブな人という言い方をするけれど

私は前向き、後ろ向きというのはその時の状態だと思うのです。

いつでもネガティブだったりどんなときもポジティブな人がいるわけではなくてね。

で、思うのです。

ネガティブなときがあってもいいのではないかと。

くだたないことに心が支配される日もあってもいいのではないかと。

晴れる日もあれば嵐の日もあるように

心の中もいろんな時があってそれこそが人間なのではないかって。

この太陽の言葉はそういう意味ではないかと思う。

心が穏やかな日もモヤモヤした日も涙がとまらない日も

それでも、一日は始まる。

どういう状態であっても、また一日を過ごしていく。

それが生きるということなんだってね。



inserted by FC2 system